失敗学から創造学へ(本日は少々長いブログ)
2012年 05月 16日
1年の闘病・リハビリを経て、私たちの前に、血色のいい大枝秀一先生が現れてくださいました。性教協の定例会で断続的に行っている「哲学の勉強会」です。5月12日、今回のテーマは「失敗学から創造学へ」。10数名の参加者

やや遅れて参加しました。
最初、それぞれの失敗事例を具体的に書き出すこと、そしてその原因について考察することを、課題として与えられました。数々の失敗ばかりの私・・・どのレベルでの失敗を書こうか。やはり人間関係の失敗が多く思い出されます。人を傷つけることがやはり辛い思い出です
(先週見たイラン映画の「別離」”昨年度アカデミー外国語映画賞受賞作”も、頭を盛んによぎります)
失敗の原因10が説明されました。
1.無知
2.未知(初めての現象)
3.不注意
4.手順の不順守
5.誤判断
6.調査・検討の不足
7.制約条件の変化
8.企画不良
9.価値観不良(効率追求優先のために結果的に「折り合いがつかない」)
10.組織運営不良(担当者が役割を果たしていない)これが最も多い
失敗はある一定の確率現象で(=必ず起こる)、この10のいくつかが複合的原因となる。だから「想定外」ということはない。(福島原発問題を想起しますね)この複合原因を頭で考え、さらに「感じる」ことが大切、と言われました。
当院では「アクシデントレポート・インシデントレポート」を蓄積し、定期的にスタッフ間で共有します。アクシデントがなぜ起こったのか、を各自考察するのですが、ややもすると「個人の不注意」的な考察で終わってしまうのですが、10を思い浮かべると、分析に幅ができてきます
さらに大枝先生はこう展開されました。失敗は偶然性の領域、その失敗の原因が分かるとそれに対してどうしたらいいかが分かる・プロセスが分かる、そうすると偶然が必然性の領域になり、「自由になれる」。そうすると創造につながる。創造とは「新しい機能を持つものを作り出すこと」、当たり前のようですが、失敗の原因分析の行い方が大切なのでしょうか。
失敗の原因が分かると「自由になる」、ここが最も大切と解説されていましたが、ここが今一つわからなかった私です。「安心できる」感じはあるのですが。
今一つ咀嚼できず、そこでヒントがあるかと思い、以前より大枝先生推薦の池田晶子さん(「14歳からの哲学」トランスビュー出版 など多数哲学の著者)の「人生のほんとう」トランスビュー2006)をめくってみました。「成功哲学は行き詰まる」というページが目に飛び込んできます。本屋の精神世界ジャンルに「人生こうすればああなる」というハウツーものや人生は自己実現だ、ポジテイブシンキング、そうして自分の望むように人生を実現しようと鼓舞する本(思い浮かびますねえ)の根本的考え方が「成功哲学」であると池田さんは説明し、そしてこれらをこう批判しています。「・・・ですから、起こってくるそのことが、もはや自分にとって良いことか悪いことかが問題じゃなくなる。ただ、起こるべくして起こることが起こっているという、そういうことになってくるのが本当なんじゃないか」。ふーむ、納得です。

日曜日の朝一人静かなこんなひとときはいいな、写真は、新茶にミント(意外とあう!)とこの本。
失敗は起こるべくして一定の確率で起こり、その失敗は多分個々人にとってとても個性的で、その失敗がその人を形作るものだろうと。「自由」とは次の地平を可能にする、そうともとれるのかもしれない。と、昨日の哲学の復習に繋がりました
さらにこの「人生のほんとう」をめくると、すごいなと思わされたのが以下です。少し長い引用になります。「大勢の人間が非常に不自然な欲望を持って生きていますから、そういうことは、大きなところで必ず帳尻が合うように物事は動くと思います。現在の人類は、言うところのカルマを非常に積んでいると思います。これは必ずどこかで自浄作用が起こる。それが自然災害であるという語り方もできますし、逆から言えば、われわれ人類が無意識の深いところでそういうカタストロフを望んでいるとも言えます。もうここまで来てしまった、これは1回チャラにしないとだめだ、チャラにしてしまいたいという気持ちを、おそらくみんなどこか深いところで持っているのではないかと思います。それがある種のカタストロフという現象を引き起こすような気が、私はします。自然災害といえども、われわれも無意識の部分は自然なのですか、深いところで自然と無意識はつながっています。・・・だからわれわれ自身が自然災害を起しているともいえるでしょう。」
2006年発行のこの本、昨年の大災害をこのように見透かしていたことに、哲学する“すごみ”を感じました。宇宙の中の地球の中の日本、海の上にほんの少し見える火山活動によって形作られた山々の一部に住む私たち、自然と私たちとの関係に「失敗」は必ず一定の確率で起こるもの、と思えてきました。次世代を担うリーダーや人材は必ず東北や福島から出るはずと、励ましにもならないかもしれないと思いながら、彼の地の人と話したことがあります。災害地の子どもや中高校生のまなざし、決意、希望、それらに接したとき、すでに下手なおとななんかすっとんでしまう力を感じます。自然との格闘の中で人は本当の力(創造力)を獲得していくものなのでしょうか。
消化不良気味な部分満載のこのブログを最後まで読んでくださった方へ、ありがとうございます。
少しさっぱりするために、ある日のベランダからの夕焼け



菖蒲、1-2週間後をお楽しみに。ゴッホの「アイリス」を思い出します。

ジャスミン、調べてみるとハゴロモジャスミンです。

最初、それぞれの失敗事例を具体的に書き出すこと、そしてその原因について考察することを、課題として与えられました。数々の失敗ばかりの私・・・どのレベルでの失敗を書こうか。やはり人間関係の失敗が多く思い出されます。人を傷つけることがやはり辛い思い出です失敗の原因10が説明されました。
1.無知
2.未知(初めての現象)
3.不注意
4.手順の不順守
5.誤判断
6.調査・検討の不足
7.制約条件の変化
8.企画不良
9.価値観不良(効率追求優先のために結果的に「折り合いがつかない」)
10.組織運営不良(担当者が役割を果たしていない)これが最も多い
失敗はある一定の確率現象で(=必ず起こる)、この10のいくつかが複合的原因となる。だから「想定外」ということはない。(福島原発問題を想起しますね)この複合原因を頭で考え、さらに「感じる」ことが大切、と言われました。
当院では「アクシデントレポート・インシデントレポート」を蓄積し、定期的にスタッフ間で共有します。アクシデントがなぜ起こったのか、を各自考察するのですが、ややもすると「個人の不注意」的な考察で終わってしまうのですが、10を思い浮かべると、分析に幅ができてきます

さらに大枝先生はこう展開されました。失敗は偶然性の領域、その失敗の原因が分かるとそれに対してどうしたらいいかが分かる・プロセスが分かる、そうすると偶然が必然性の領域になり、「自由になれる」。そうすると創造につながる。創造とは「新しい機能を持つものを作り出すこと」、当たり前のようですが、失敗の原因分析の行い方が大切なのでしょうか。
失敗の原因が分かると「自由になる」、ここが最も大切と解説されていましたが、ここが今一つわからなかった私です。「安心できる」感じはあるのですが。
今一つ咀嚼できず、そこでヒントがあるかと思い、以前より大枝先生推薦の池田晶子さん(「14歳からの哲学」トランスビュー出版 など多数哲学の著者)の「人生のほんとう」トランスビュー2006)をめくってみました。「成功哲学は行き詰まる」というページが目に飛び込んできます。本屋の精神世界ジャンルに「人生こうすればああなる」というハウツーものや人生は自己実現だ、ポジテイブシンキング、そうして自分の望むように人生を実現しようと鼓舞する本(思い浮かびますねえ)の根本的考え方が「成功哲学」であると池田さんは説明し、そしてこれらをこう批判しています。「・・・ですから、起こってくるそのことが、もはや自分にとって良いことか悪いことかが問題じゃなくなる。ただ、起こるべくして起こることが起こっているという、そういうことになってくるのが本当なんじゃないか」。ふーむ、納得です。

日曜日の朝一人静かなこんなひとときはいいな、写真は、新茶にミント(意外とあう!)とこの本。
失敗は起こるべくして一定の確率で起こり、その失敗は多分個々人にとってとても個性的で、その失敗がその人を形作るものだろうと。「自由」とは次の地平を可能にする、そうともとれるのかもしれない。と、昨日の哲学の復習に繋がりました

さらにこの「人生のほんとう」をめくると、すごいなと思わされたのが以下です。少し長い引用になります。「大勢の人間が非常に不自然な欲望を持って生きていますから、そういうことは、大きなところで必ず帳尻が合うように物事は動くと思います。現在の人類は、言うところのカルマを非常に積んでいると思います。これは必ずどこかで自浄作用が起こる。それが自然災害であるという語り方もできますし、逆から言えば、われわれ人類が無意識の深いところでそういうカタストロフを望んでいるとも言えます。もうここまで来てしまった、これは1回チャラにしないとだめだ、チャラにしてしまいたいという気持ちを、おそらくみんなどこか深いところで持っているのではないかと思います。それがある種のカタストロフという現象を引き起こすような気が、私はします。自然災害といえども、われわれも無意識の部分は自然なのですか、深いところで自然と無意識はつながっています。・・・だからわれわれ自身が自然災害を起しているともいえるでしょう。」
2006年発行のこの本、昨年の大災害をこのように見透かしていたことに、哲学する“すごみ”を感じました。宇宙の中の地球の中の日本、海の上にほんの少し見える火山活動によって形作られた山々の一部に住む私たち、自然と私たちとの関係に「失敗」は必ず一定の確率で起こるもの、と思えてきました。次世代を担うリーダーや人材は必ず東北や福島から出るはずと、励ましにもならないかもしれないと思いながら、彼の地の人と話したことがあります。災害地の子どもや中高校生のまなざし、決意、希望、それらに接したとき、すでに下手なおとななんかすっとんでしまう力を感じます。自然との格闘の中で人は本当の力(創造力)を獲得していくものなのでしょうか。
消化不良気味な部分満載のこのブログを最後まで読んでくださった方へ、ありがとうございます。
少しさっぱりするために、ある日のベランダからの夕焼け




菖蒲、1-2週間後をお楽しみに。ゴッホの「アイリス」を思い出します。

ジャスミン、調べてみるとハゴロモジャスミンです。
# by yasuhi-clinic | 2012-05-16 13:11 | Trackback






























